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あか牛博士のお話

“あか牛博士”こと滝本勇治先生があか牛の研究を始めたのは約半世紀前のこと。以来、あか牛を「育てて、食べて、研究する」日々をかさね、
「草をたっぷり与えて、美味しいあか牛肉を創る」生涯生産技術を確立した。阿蘇・うぶやま村で培ったこの実証研究が今、開花期を迎えている。
時あたかも、悠久の阿蘇草原の営みが、FAOから『世界農業遺産』に認定された。今、阿蘇は草原再生を目指して歓喜と発展の情熱が渦巻いている。

あか牛の改良、飼育、放牧の全てを知る“滝本先生”に、あか牛の魅力について聴いてみた。

滝本勇治(たきもと・ゆうじ)

あか牛博士のお話1941年北海道苫前町生。帯広畜産大学卒。農水省に入省し、九州、東北、中国、四国各農業試験場を歴任。東北農試場長で2001年3月に退官。同年4月から北海道農業研究センター代表となり、03年9月に退職。同10月に阿蘇郡産山村に定住。同村で「田舎塾」塾長として、村おこしの中、あか牛の飼育等を指導。07年から2年間、神内ファーム21の顧問として北海道でのあか牛の放牧肉生産を指導。現在、日本あか牛登録協会会長、農林水産技術同友会九州支部長、全日本あか毛和牛協会生産技術顧問、うぶやま村上田尻牧野組合顧問も務める。

「牛」という生き物の誕生は約9000万年前で、オーロックスという原牛が人に飼われて家畜となったのは今から8000年前といわれている。牛の進化は諸説存在しているが、肥後のあか牛と土佐のあか牛に代表される褐毛和牛(あかげわぎゅう)は、いずれも 韓牛が起源とされている。
あか牛の来歴は古く、日本神話に登場する健盤龍命(阿蘇大明神)が阿蘇の湖水を開拓して田畑を作り、放牧をして農業を始めた頃から牛馬が飼われていたと伝えられている。

1881(明治14)年頃。政府の畜産奨励もあり、篤志家によってデボン種種雄牛によるあか牛の改良が試みられた。しかし当時体格が過大となり、使役にも耐えられないという理由で、デボン種による改良は中断された。

1900(明治33)年。政府は牛を役用から役肉用牛に転換する目的で和牛の改良を外国種との交雑によって行う方針を定め、あか牛の改良はシンメンタール種、ブラウンスイス種を含む数種の外国種が用いられた。

1911(明治44)年。全国的に和牛と外国種の交配が推進されたことを受けて、熊本でも小柄なあか牛に、スイス原産の大きな乳肉役兼用牛・シンメンタール種を交配して改良することになった。

1914(大正3)年頃。農商務省の指示で従来の赤毛牛と黒毛牛の混養を避ける『地方による毛色の統一化』が進められた。

1922(大正11)年頃からはシンメンタール種の交雑を専ら行うようになった。その遺伝的血統はシンメンタールが25%以下としながら体格の増大と毛色の褐色単一化を図り経済的な役肉兼用牛を作出すことを明確な改良目標のもと選択淘汰がくりかえされる。その結果理想とする褐色単一の役肉兼用牛が作出され、さらに直接検定、間接検定、現場検定、ET(受精卵移植)牛作出などによる改良を重ねて誕生したのが、褐毛和種(あかげわしゅ)という和牛です。当初は「役用として、もっと力持ちの牛をつくりたい」との思いが強く、肉用を視野に入れての役用としての改良だったようです。
その褐毛和種が、いい遺伝子を寄せて交配によるバラツキがない種として確定されたのは1944(昭和19)年である。

1960(昭和35)年頃から九州農業試験場、熊本種畜牧場、熊本県畜産試験場であか牛の飼育試験が始まり1967(昭和42)年以降、日本の肉用牛を総括した『産肉能力検定事業』としてあか牛の産肉能力の直接検定と間接検定が開始された。熊本県があか種雄牛の集中管理事業を企画したのが1974(昭和49)年で、黒毛より産肉能力向上改善策の立ち遅れがあったからだ。1975(昭和50)年以降から『肉用牛産肉性向上推進事業』が開始され、熊本県畜産販売農業協同組合連合会によってあか牛産肉能力の現場検定が5年にわたり実施された。そして1984(昭和59)年から熊本県産牛に「肥後牛」としてブランド化に努めていくこととなる。
これらのことを通じて、あか牛の肉質の向上と斉一化を図り、ET技術を駆使して改良の速度を速めて今日の全国ブランド『あか毛和牛』(ナチュラル・ジューシー・ヘルシー)のもとに「うぶやまさわやかビーフ」「阿蘇王」「草うし」などの商標登録がされている。

役牛から肉牛へ

 

私が農林省九州農業試験場に赴任したのは、1965(昭和40)年。「あか牛の研究を任られて、3日で辞めたくなった」。なぜか。農地にトラクターが導入され、役牛としてのあか牛は役割を終えたと思ったからだ。「滅びゆく牛の研究はしたくない」とタテつく私に、上司は言った。「今のあか牛はお前の言う通りだ。しかし、役牛ではない。肉牛として生まれ変わらせろ。そのための論理と技術のプロトタイプをつくれ」と。同じころ、農業に堆肥に代わって化学肥料が普及し始め、草原が役割を失いつつあった。牛を飼う農家が減り、野焼きなどの手入れをせずに原野が灌木(かんぼく)の繁るやぶになると、阿蘇のあか牛も大草原も滅びてしまう。そのことに危機感を覚えた私は「草を餌に良質な肉を創る肉牛を育てる」技術を探りはじめたのである。

1975(昭和50)年、うぶやま村の井博明氏(民宿山の里)他畜産農家の提案で、現地での飼育実証試験をスタートさせた。私が12名の後継農家と一緒に5年がかりで取り組んだのは、「粗飼料多給型飼育」(そしりょうたきゅうがたしいく)と「先行-後追い放牧法」である。前者は草を主体に牛を肥育すること、後者は牛の生育ステージに合わせて、高い養分量を必要とする牛から先に放牧する方法である。5頭のあか牛を飼い、私が九州農試で研究したノウハウが現場で実践された。放牧飼養を中心とした繁殖・肥育の両方を手掛ける一貫経営方式を全国で初めて確立した。

1981(昭和56)年にまとめた『草地畜産技術マニュアル』は実証実験の集大成だ。座学ではなく、現場での実証研究でマニュアルを作った結果、あか牛は草主体で肉生産ができる和牛品種であることがわかりました。

2010(平成22)年。うぶやま村上田尻牧野組合は『第14回全国草地畜産コンクール』でグランプリの農林水産大臣賞を受賞。畜産経営での飼料基盤の重要性を広めるため、効率的な自給飼料の牧草生産や放牧地の利用技術、雄大な阿蘇の環境に調和した持続的なあか牛の生産・経営方式などの優れた事例が認められた。

2013(平成25)年。「世界農業遺産国際会議」において、「阿蘇の草原の維持と持続的農業」が、新たな「世界農業遺産」として認定された。放牧・採草・野焼きなどによる草原の管理や、畜産だけでなく草原の活用は集落単位で共同管理され、持続的な草資源の利用が長年にわたり引き継がれ認められた背景において、私共の実証研究が少なからず役に立てたことは大いに喜ばしいことである。

あか牛が草主体で育つワケ

牛には胃袋が 四つある

※牛には胃袋が 四つある。その訳は草原で草だけを食べて、ゆっくり消化しやすいように胃ができているのです。

それにしてもなぜ、あか牛は草主体でうまい肉をつくれるのか。うぶやまブランドのあか牛『草うし』について少し説明しましょう。
「牛は4つの胃を持つ草食反芻(はんすう)動物で、元来、草原で野草や牧草をたくさん食べて育ちます。反芻を良くし、また胃の中のプロトゾアという微生物や細菌類の働きで繊維質飼料成分の分解やエネルギー分の吸収をしやすくしています。栄養分の吸収だけでなく、そういう正常な反芻を起こすためにも、ビタミンやミネラルの豊富な草を食べさせなければなりません。それは黒毛和牛も同じですが、親子放牧が前提になります。黒毛和牛はだいたい生まれて数日後に母子を離し、子牛は牛舎の中で代用乳と濃厚飼料主体で育てられます。サシ(霜降り)のたくさん入った肉を早くつくるのには、放牧だと都合が悪い。あか牛は逆に、濃厚飼料(トウモロコシ、ムギ、米ぬか、大豆かす、大麦、フスマ等)の多給はダメ。あか牛は口が大きく物食いがいいから、エネルギー含量の多い穀類を多給するとすぐに太って脂っこいだけのまずい肉になってしまう。いい草さえつくって食わせれば、母牛はいっぱい乳を出し、子牛はその乳を飲み、母牛から草の食べ方を習うから、あか牛は草で美味しい肉を作れるのです。それが粗飼料多給型肥育法で、うぶやま村では『草うし』をブランドとして生産販売しています。

健康の証は脂肪の色

55年前には55万頭いたあか牛が、今はわずか2万5000頭。役畜から肉専用種へ転換したにもかかわらず、頭数は減る一方だ。1988(昭和63)年に日本食肉格付協会が農林水産省の承認を得て制定した「新しい牛枝肉取引規格」によるランク付けで枝肉取引の広域化が進められた。そこでは、あか牛のサシの少なさが市場で評価されなかった。加えて、牛肉の輸入自由化により大量に市場に出回った安価な輸入肉と混合されたこと、さらにはBSE(牛海綿状脳症)や口蹄疫(こうていえき)による風評被害など、あか牛にはいわれなきダメージに苦しめられてきた。肉のバイヤーは『あか牛は脂肪が黄色くてダメだ』と言いますが、βカロテンが沈着した薄いクリーム色であり、赤身肉中に8~15%の適度な脂肪を含みます。これは“あずき色”の肉とともに、草食育ちゆえの健康の証しなんです。赤身のうまさが抜群です。ましてや20カ月未満でお肉となる外国種のサシも味の深みもない輸入肉とは格が違う。それに、BSEや口蹄疫は、放牧・粗飼料主体のあか牛の飼育方法から見て無関係です。

近年サシ重視よりも赤身指向の顧客が増えてきたのも、私の時代には詳細な肉の化学分析ができなかった“うまみ成分”や“健康機能性成分”を示す科学的データがそろってきたことにも関係している。特徴的なのは、ビタミンA(レチノール、βカロテン)とビタミンE(αトコフェロール)がリッチで、不飽和脂肪酸のn6/n3比率が低いこと。これは牧草摂取によるもので、草の持つ栄養成分が牛の体内に蓄積されていることが分かる。免疫調整作用や細胞の老化防止作用、体に良い脂肪酸バランスの形成など、栄養価が高い。面白いのは肥育に放牧を取り込むほど、カルノシン、カルニチン、クレアチンなどの健康増進に効果のある機能性成分が高まる傾向があることだ。九州沖縄農業研究センターの最新の研究成果によると、いずれも黒毛の1.2~2倍の量を含む。さらにうまみ成分のイノシン酸・アミノ酸が豊富なほか、肌に良いコラーゲン含有量も多い。小さな子供も年配者にも安心して食べさせられる健康な牛からの健全な肉であり、あか牛の普及は世の健康志向を背景にこれからが本番と言えそうだ。

機能性成分等の比較

調査=(社)熊本県畜産協会 分析=(独)農業技術研究機構 九州沖縄農業研究センター
調査期間=2004/12~2006/7 ・各6頭による比較

一般成分

成分 割合 対黒毛和牛比
水分
67.9% 1.20倍
たんぱく質 19.9% 1.18倍
脂肪 10.6% 0.44倍
レチノール
(ビタミンAの成分)
25.0μg/100g 2.50倍
β―カロテン 26.0μg/100g 豊富
(慣行肥育黒毛和牛は極少)
ビタミンE
(αトコフェロール)
50.2mg/100g 2.48倍

※良質粗飼料多給型飼育方法で乾物給与率を、粗飼料:濃厚飼料は30:70~55:45のあか毛和牛。さらに「独自評価基準」の星印★★~★★★の間以上でのリブロース芯(一般枝肉格付で肉質を見る筋肉部位)での成分分析データからおおよそまとめたもの。比較している黒毛和種は、濃厚飼料多給型飼育(おおよそ10:90~15:85で慣行飼育牛)とする。

九州沖縄農業研究センター 成果‐消費者向PR版(2012)‐より

あか牛の今後の魅力

数年前から『ヘルシーでおいしい』あか牛肉の真価を評価する企業が現れている。たとえば百貨店の大丸松坂屋。井 博明氏の売り込みにより直産契約が成立し、現在『草うし』ブランドで黒毛の霜降り肉なみの価格で店頭販売されている。また神内ファーム21も「北海道の草原であか牛を生産したい」との思いから今、立派な繁殖・肉一貫生産の牧場に発展している。あか牛の未来図は、飼育農家が増え、肉の産直・ネット通販に加えて、最終的には東南アジア等に海外輸出することを目指している。「あか牛は日本にしかいない牛の、日本にしかできない飼育方法で育った安価で最高級の肉だから、海外の消費者にも必ず受け入れられると考えている。

著作監修 滝本勇治
参考
  • 「放牧和牛」(1984)
    うぶやまさわやかビーフ産直、愛知県サイトウ、
    上田尻牧野組合、産山村
  • 「幸せな牛を食べさせて下さい!」(2006)
    DaDa環境圏研究所/あか牛フォーラム事務局
  • 「草うしのお話」(2008)
    草うしプロジェクト‐大丸松坂屋、産山村、上田尻牧野組合
  • 「褐毛和牛を探せ」(2012)
    ナイルスナイル誌No.183 p.88-91
被写体提供 上田尻牧野組合(産山村)
井 慎二郎
西村直樹
制作 農家レストラン 山の里
〒869-2704 熊本県阿蘇郡産山村大字田尻202
電話 0967-25-2253

2013年10月27日